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「フィジカル」と「デジタル」のあいだで (3) コンテクストを編むための学び

2006年3月28日 掲載

渡辺保史

コンテクストを編むための学び

中学生たちがつくるフリーペーパー

今回も前回に続き、あえて周縁的なトピックからコンテンツマネジメントをめぐる問題について考えていきたい。結論から先に言うと、ここで注目したいキーワードは「学び」である。

今年に入ってから3カ月ほど、東京都内のある中学校で、子ども達と一緒にフリーペーパーをつくる授業に関わっていた。この授業、実は一般的に想像しがちな情報教育やメディアリテラシー教育の範疇ではなく、「キャリア教育」という名目での総合学習だ。要はニートやフリーターをこれ以上増やさないために、年少時から仕事に対する具体的なリアリティを持ってもらおう、という政府(経済産業省)の意向を受けて設定されたもので、全国規模でも様々なプログラムが展開されている(詳細はウェブサイト[career-edu.jp]を参照)。

私が関わった東京都での実験プログラムは、「Communication Pro School」と銘打ち、都内4つの中学校で行われた。授業の流れはざっとこんな感じだった。

中学2年生たちは、地域の企業や商店や学校など仕事の現場に5日間出かけ、実際にそこで様々な仕事を体験する。フリーペーパーづくりはこの後から始まる。まず、出版・編集に関わっているゲスト講師(つまり私)から、雑誌づくりの概論。それに続き、生徒たちは自分が赴いた企業や商店などに再度取材に行くため、インタビューや写真撮影について具体的な方法やルール、マナーについて学んでいく。

そして、自分たちでアポイントを取って数人のグループで取材に出かけ、戻ってきた後は再びガイダンスをもとに記事を執筆する。見出し、リード(前文)、インタビューの本文や写真のキャプションまで、試行錯誤しながら何とか記事を書き上げ、それらの素材をプロのデザイナーに渡し、「本物」の雑誌と見紛うばかりのA4判32ページ、フルカラーのフリーペーパーに仕立て上げられる……。

活動を意味づけ、振り返るコンテクスト

この学びが持つ意味は、いくつかあると思う。まず何よりも重要なのは、職業体験を「やり放し」で終わるのではなく、フリーペーパーというメディアをつくることで体験を完結させるという点だ。

職業体験を重視したキャリア教育は、先駆的に始めた一部の学校(私がお手伝いしたのも、都内でかなり早くからそれを実施し始めたところだ)から全国的に広がりつつあるが、実のところ「やり放し」のままになっているところも少なくないと聞く。キャリア教育に限らず、体験学習は、知識を詰め込まれるような旧いタイプの学びとは違って大きな効果をもたらすと注目されるが、往々にして体験の「やり放し」に終始しがちのようだ。本来は、いったん体験したことを、後で「振り返り」、それを自分の生活に「結びつける」プロセスがあって初めて体験学習は完結する。

中学生たちは、様々な働く現場で自ら体験し、見聞きしたことを、自分たちなりに意味づけ、それを自分たちの内面に血肉化するだけでなく、他者(社会)へ向けて発信し共有するためのコンテンツに仕立て上げ、さらにはメディアのコンテクストへと編んでいく。その意味で、職業体験という中学生たちにとっては特異な体験を、後日あらためて自分たちで取材し直し、メディア化することは非常に有意義なリフレクションの機会になっていたのだろう。

自覚しない情報デザイナー

また、記事作成のアドバイスをするにあたって、私が中学生たちに呼びかけたのは、次のようなことだった。今回のフリーペーパーのコンセプトは、単なる職場紹介ではない。みんなが体験した職場でお世話になった人々が、どんな想いで、どんなことに苦労したり喜んだりしながら働いているのか、そこに迫ってほしい、と。つまり、自分たちが体験したことと、実際にそこで働く大人との意識や経験の「距離感」を感じ取ってもらい、そこに自分なりの仕事に対する立脚点を持ってもらおうと意図した。

単なる(客観を装った、その実無味乾燥な)レポートではなく、ある事象に対して自分自身という目線を保ちながらどれだけ対象との距離感を自在にデザインできるか。こうした視点を持つことは、ブログのような自己言及的でもあり多層的でもあるようなメディアに関わる態度を身につけるためのエクササイズになりうるかもしれない、とも思っている。

もう一点。フリーペーパーの制作という行為自体には、ライターや編集者やデザイナーといった職業の実際に触れるという意義もあったのだが、もっと言えば、専門的な職業の背後にある他のどんな職業にも応用可能な「ものの見方」や「ものごとの組み立て方」を知ることにあったのではないだろうか。

自分の体験を咀嚼し、それを分かりやすいカタチに組み換え、他者と共有できるようにすること——こうした行為は、「プロ」の編集者やデザイナーのみならず、実は職業人全般にとって重要なチカラでもある。実は私たちは誰もが、「自覚しない」編集者であり情報デザイナーでもある。自覚しないエディターシップやデザイナーシップに気づくこと。冒頭で、この授業は情報教育やメディアリテラシー教育の範疇には含まれていないと書いたが、実は本質的なところでは広い意味での情報・コミュニケーション能力を育む学びとしての側面を備えていたことも否定はできない。

非専門家のための情報デザインの学び

ブログなどの CGM(consumer generated media)の台頭によって、自らの活動や周辺世界を記述し発信する個人の数は、着実に増えている。その記述手法も、テキスト(文章)にとどまらず、オーディオやビデオへと広がっていることは、ポッドキャスティングやビデオログ、YouTube や Google Video などへの注目によっても裏付けられているだろう。すべての人が表現者、発信者となる時代の到来。一昔前まで、可能性の範囲で語られていたことが現実のものとなり、メディア産業に関わる「プロ」以外の職業人も自らメディアを通して自分たちの知識や経験を社会に対して発信していくことが当たり前になるのだとすれば、今回の学びが持っていた意義は、まさにこれからの社会において、さらに高まっていくに違いない。

だからこそ、こうした学びのプロセスには、中学生「のために」役立つというだけでなく、すでに社会のあちこちで働いている当の大人「のためにも」大いに参考になる部分があるのではないかとも思っている。

情報デザイン的な発想や手法を、一部の専門家だけでなく、多くの人々の間で共有できるようにすること。それは、CMS のようなシステムに関心が集まり、ビジネスの前線から行政組織、あるいは教育現場や市民活動など、あらゆる社会的な活動においてネットを使った情報編集と発信が恒常的に行われていくこれからの時代にとって、根幹をなすテーマなのだと私は思っている。

ここで言及したような、若い世代が実体験を通して「自覚的な情報デザイナー」としての側面に気づき、そのチカラを高めていくための学びは、まさに次世代をデザインするための取り組みにほかならない。これから先、新しいシステムやツールが普及し、人々がコンテンツを発信していくためのハードルが低くなっていったとしても、そうした環境を我が者としてツールを駆使できるリテラシーそのものが伴わなければ何の意味もないだろう。

執筆者紹介

渡辺保史

情報デザインをめぐるプランニング・ディレクション・ライティングに従事。智財創造ラボ・シニアフェロー、武蔵野美術大学デザイン情報学科非常勤講師。http://www.nextdesign.jp/


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