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ダン・サファー パーソナルサイト 「O Danny Boy」:それは単なる「器」ではなく、単なる「画面」でもない
2008年7月 4日 掲載
それは単なる「器」ではなく、単なる「画面」でもない
巨大なイベント「IDSA conference」に参加して、来るべき「IxDA interaction08」でスピーカーになる人たち数名に会って以来ずっと、僕はインタラクションデザインと工業デザインという2つの世界についていろいろ考え込んでいる。これらは大きくかけ離れた分野ではないが、そんなに近しい関係にもない。これらの間に深い溝を作っているのは、多くのインタラクションデザイナーは工業デザイナーが何をどのようにやっているのかを知らないことにある。そして、その逆も同じだ。インタラクションデザイナーの視点からすれば、ハードウェアはユーザーインタフェース(UI)のための「器」にすぎない。工業デザイナーの視点からすれば、UIは自分たちのデザインワークが終わった後にその結果が置かれる「画面」にすぎない。
しかしこれは、製品をデザインするうえではとても恐ろしい考え方だ。人々は皆長い間、そんな考え方から生まれた製品を通じて苦しんできている。Razr(モトローラ製の薄型携帯電話)を見てみてほしい。これは工業デザイン的には見事なものだが、インタラクションデザイン的にはひどいものだ。もしくはノート型PCをとりあげてみよう。まともなインタラクションデザインと質の悪い工業デザインの結果であるものも多い。最も優れたエクスペリエンスデザインのためには、ハードウェアとソフトウェアが完全に融合されていなければならない。同じように、デジタルなものを扱うプロジェクトで仕事をするインタラクションデザイナーとビジュアルデザイナーも親密であるべきだし、デジタルなコンポーネント(たとえば、マイクロプロセッサーによって動作するようなもの)からなる物理的な製品を扱う場合も、工業デザイナーとインタラクションデザイナーは接近して仕事をするべきだ。そして、その製品を使うユーザーにとって、可能な限り最良の経験を与えるものを開発しなければならないのである。
もちろん、Apple は何年も前にこのことに気づいていて、ハードウェアとソフトウェアの両方を支配することを強く主張してきた。これは、もしかしたら会社そのものが危うくなるかもしれないようなリスキーなギャンブルだったが、ここ十数年は、膨大な額の配当を得る結果となった。また、単に利益を生むだけではなく、人々がうらやましがり、熱望し、使いやすいと感じるような美しい機器類を生み出したのである。皆が知っているように、これらの機器によって市場が変化し、機器というものに関する我々の考え方を変えるまでに至ったのである。
僕は最近、工業デザインとインタラクションデザインの両サイドで、驚くべき発言を耳にした。それは、昨今Wiiのような素晴らしい工業デザインそしてインタラクションデザインを備え持つ機器が出回っている中で、僕の耳にひどく無知であるように聞こえた。「君は、工業デザイナーはインタフェースデザイナーと一緒に仕事をするべきだと思うかい?」。数ヶ月前、ある工業デザイナーは真剣な顔で僕に尋ねた。「工業デザインっていうのは、単に物的なサービスのことだろう?」。この発言を耳にしたのは2日前だ。互いの頭にピストルを突きつけあっているようなものだというのが真相だろう。「僕が作ったインタフェースは、君が作った外観をダメにできるんだぞ!」「ああ、そうか。じゃぁ、僕がジョグダイアルを外したらどうなるかをみてみよう。これで君の作ったインタフェースでメニューをナビゲートできるかい?」「君がそう出るなら、僕は君が作ったその素晴らしいスピーカーのコントロールをつけ忘れちゃうかもしれないな」。と続くわけだ。一緒に仕事をするか、もしくはすべて失敗に終わるかのどちらかになる。
現実には、デジタルなものとフィジカル(物理的)なものとの境界はゆっくりと、しかし確実に消えつつある。「我々の孫の世代にあたる人々が、我々に対して極めて奇妙に感じることの1つは、デジタルなものとリアルなもの、バーチャルなものとリアルなものを区別していることかもしれない。将来、これらを区別することは事実上不可能になるだろう」。最近、ウィリアム・ギブスンはこのように語っていた。これが真実だろう。あなたのノートPCは、フィジカルなものだろうか、デジタルなものだろうか?携帯電話はどうだろうか?では、あなたの家はどうだろう(これを答える前に、Google Map で調べてみよう)!
こういったことを理解しているような、両サイド(そして、その真ん中)に立つデザイナーが必要だ。これまで、我々にはデザインの専門分野を区別するという「贅沢」が許されてきた。しかしこれは実際には少しも贅沢なことではない。なぜなら双方が互いに、相手から多くのことを学ぶことができたはずなのだから。さぁ、人工的な垣根を取り除くときが来た。僕たちはみんなで1つなのだ。
本サイトに掲載している 「O Danny Boy」の記事は、ダン・サファー氏 より許可を得て、翻訳・転載しているものです。
関連サイト
- O Danny Boy [odannyboy.com] (パーソナルサイト)
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