ここから本文です
クラウドコンピューティングが持つ課題から、無限大の可能性へ
2009年12月15日 掲載
[Keynote-1] 立ち込める暗雲 - Web サービスとクラウドコンピューティングにおける課題をかんがみる
講演者 ドナル・マウンテン(米 Google 社 ユーザーエクスペリエンス・リサーチャー) ブレイデン・コウィッツ(米 Google 社 シニア・ユーザーエクスペリエンス・デザイナー)Conference 最初のセッションは、Google UXチームのブレイデン・コウィッツ氏とドナル・マウンテン氏による基調講演。「クラウドコンピューティングの価値と課題」というテーマを広く扱うが、この内容は Google 社としての見解ではなく個人の知見であり、自分たち自身も決して"課題に対する正解"が分かっているわけでもないと説明。両氏が仕事の拠点とするシリコンバレーで、多数のユーザーエクスペリエンス(UX)専門家と交流する中で見えてきたことや学んだことを来場者と共有するのが講演の趣旨であると話した。
クラウドが持つ可能性、そして課題とは
講演中のブレイデン・コウィッツ氏(左)とドナル・マウンテン氏(右)
冒頭、コウィッツ氏は「我々はクラウドコンピューティングに対して、大きな期待と変化を感じている。世界中で仕事やコミュニケーションのあり方に変化が起きている」と話した。クラウドの利用により特定のPCに縛られずにブラウザひとつで情報が共有できるという、かつて存在しなかったUXがもたらされているという意味だ。一方マウンテン氏は「しかしクラウドが持つ課題を真剣に認識することも重要。それがより大きな効果をもたらす道しるべになる」と続けた。価値(可能性)と課題(問題点・チャレンジ)は切り離して考えることはできないとしたうえで、次のような観点から、さまざまな事例や比喩を交えて議論を進めた。
クラウドコンピューティングがもたらす価値と課題
- 価値:いつでも使える(Always Available)
- 課題1:オフラインでも使えるようにする(Works Offline)
- 課題2:データのポータビリティ(Data Portability)
- 価値:安全に使える(Safe)
- 課題3:クラウドにおける信頼性(Trust in the Cloud)
- 課題4:セキュアなアカウント(Secure Account)
- 価値:みんなで使える(Collaborative)
- 課題5:コンテンツ作成(Authoring)
- 課題6:共有のコントロール(Sharing Controls)
「いつでもどこでも」を可能にするテクノロジーと設計思想
1つめの課題は「オフラインでも使えるようにする」。これは、オフラインであっても「いつでもどこでも」支障なく利用できるようなアプリケーションが提供されることではじめて、人々がクラウドコンピューティングの"真の価値"を享受することができるという指摘に他ならない。「ネットワークにはトラブルが発生することもあるし、回線の接続が不安定だったり速度が遅かったりする環境下にある場所も世界中にはまだ多い。アプリケーションを提供する側は、そういった状況や場所も想定しておかなければならない」とマウンテン氏は話す。
たとえば、Outlook といったデスクトップアプリのメールソフトを考えてみると分かりやすい。メールの送受信時にはネットワーク接続が必要だが、オフライン時もローカルPCのデスクトップ環境でメール作成作業を「中断することなく継続」することはできる。このように、ユーザーの作業を中断させることなく、オンラインとオフラインをシームレスに行き来できるようにする配慮が、クラウドの世界にも重要(マウンテン氏)というわけだ。この課題解決に向けた見解として、コウィッツ氏は「オフラインでも利用可能なアプリケーションの開発は、不可能ではないがまだ難しく解決すべきことが多い。機能を後付けで開発するのではなく、そもそもの設計段階から、オフラインでの作業を想定するのが理想的」と述べた。
2つめの課題「データのポータビリティ」では、データの所有権はユーザーにあることを前提にした議論が展開された。コウィッツ氏は「クラウド上にあるデータを使用する際もユーザーに自由度と安全性を与える必要がある」と説明。この課題を解決する手がかりの1つは Open API の普及にあると続けた。Open API を用いれば、クラウド上にあるデータを自由にダウンロードしたり、違うアプリケーションを利用できるようになる。異なるクラウドにあるデータの移動(例:picasa[google.com] から Flickr[flickr.com] に写真を移動したい場合)にも同様に利便性が高まるわけだ。
クラウドの浸透に必要な信頼性と安全性
3つめの課題は、「安全に使えるクラウド」が持つ価値を引き出し、世の中にクラウド利用をもっと浸透させるためには"信頼性"が重要であるという点を指摘するもの。自分の手元にデータを置いておきたいのは人間の心理として自然だと言える。しかし、PCが盗難にあったり故障してしまうことを考えた場合、「手元に置いてあっても安全性は保障されるものではない」(マウンテン氏)という考えだ。
さらに「自分のお金を銀行に預けることを考えてみると"信頼"のあり方が分かりやすい」と、コウィッツ氏が説明を続ける。昔は手元にある"貨幣"が誰にとっても一番大切だったが、その後、貨幣価値を紙で表す"紙幣"が登場し、いまや画面上に表示される銀行"残高"が価値の証になっている。クラウド上にデータを預けることに対する不安は、まだクラウドの信頼性がきちんと定着していないことに起因するものであり、銀行への信頼と同様、クラウドへの信頼性も「徐々に」浸透していくはず、という。また、コウィッツ氏は、「(アプリ開発者やサービスの運営者たちが)信頼を得るように努力することは必須。そのうえで万が一トラブルが発生したときに、"業界"として何を行うべきかを考えておく必要がある」と強調。航空機業界では、あらゆる情報の記録と公開を徹底することで信頼を得る努力をしている事例などに言及した。
4つめの課題は「セキュア(堅牢)なアカウント」のあり方についてだ。パスワードを用いて重要なデータにアクセスする仕組みは浸透しているが、その安全性を向上するためにはユーザーインタフェース設計上の問題解決も追求されなければならない、とコウィッツ氏は話す。ハッカーが Twitter 社の社員アカウントを入手して社内情報にアクセスした事件や、元副大統領候補(Sarah Palin 氏)のメールパスワードが盗まれて個人情報漏洩に至った事件、フィッシング詐欺などの事例を交えた説明の後、「正式な利用者が正式なアカウントを利用することができるようなソリューションの提供が行われなければ、クラウドの安全性自体が危うくなる。ブラウザを用いて安全性を高めていくことが可能ではないか」との見解を示した。
クラウドを用いたコラボレーションが新たなUXを生み出す
暗い雲の間から光があふれるスライドが印象的
「みんなで使える」クラウド、つまり、クラウドを用いたコラボレーションの効果は無限大だ。マウンテン氏は、「この効果がクラウドの価値を最大限に引き出し、新たな経験を生み出す可能性が最も高い」と指摘。Google apps[google.com] を使用し、カレンダー、ドキュメント、写真などを共有する仕組みはほんの一例であり、すでにクラウド上のアプリケーションで共同作業を行うには"最高の時代"が到来しているとした。
しかしここにも課題はある。5つめの課題は「コンテンツ作成」だ。ブラウザ上でコンテンツを作成することは不可能ではないが、まだまだ難しいのが現実。「文章作成はもとより、フォント、印刷、改ページの扱いなどについて、Google でもたくさんの労力を払っている。しかしまだ解決できていないことも多い」(コウィッツ氏)というのだ。その原因の1つは、ブラウザがコンテンツ作成のために設計されていないという点。また、既存の問題解決に追われているとイノベーションにつながらないという懸念にも触れながらも、「Web ブラウザはどんどん機能性が向上している。将来はブラウザ上でビデオの編集や画像加工などができるようになるに違いない」との期待を示した(コウィッツ氏)。
6つめの課題は「共有のコントロール」。マウンテン氏によれば、これは Web 上で情報を共有するというUXに対する"挑戦"でもあるという。さらにコウィッツ氏は、Web では URL を提供することで簡単に情報が共有できるメリットがある反面、どんどん作業や情報の関係性が複雑になってしまう問題点にも言及。コントロールが複雑化することにより、ユーザーが誤った操作をするリスクも増加するということだ。「この問題を防ぐには、情報共有のためのコントロールを簡単かつ分かりやすく、さらに必要な機能性を併せ持つUIとして提供できるかどうかにかかっている」と続けた。
最後に両氏は、「クラウドコンピューティングの将来が明るいのは確かだ。しかし自分たちは、いいことばかりを話すだけではなく、課題について皆で議論し、結果としてインターネットをよりよいものにしていきたいと考えている」とのメッセージで講演を締めくくった。
一見するとすでに使い古された言葉に受け取られがちな「クラウド」だが、本講演は、ユーザー、開発者、サービスの運営者といったさまざまな立場の人々が現状を振り返り、改めてクラウドの可能性を考え直すきっかけになったのではないだろうか。